沿  革
 
65代 孔子の書
65代 孔子の書
創立者略伝 −創立者 菅沼周次郎について−
創立者菅沼周次郎は、平戸市(旧松浦藩)に明治9年12月15日、藩学を司っていた菅沼量平の次男として誕生した。
松浦藩は吉田松陰などの多くの才学の師を招き、早くから学問の奨励に努めた。その結果、藩公を頂点として有名な学者を輩出することになる。
こうした藩学の中心にあった菅沼家に生を受けた周次郎が、幾多の学者に学び交わり、高い学問に通じたであろうことは、容易にうなずける。
特に、周次郎の兄貞風は幼少よりその学才により留学を命ぜられ、欧米の新しい学問に励み、有名な「大日本商業史」を著したほどの学者であったが、24歳にしてマニラで客死している。
幼少より学問に秀で、和漢の書を修めた父の量平の優しさと品格、又兄貞風の鉄のような躾教育と学問に対する厳しい指導教育は、周次郎の人となりに大きく影響を与え、厳格な指導理念の中にも優しさ、愛情が備わったものと思われる。
周次郎も兄同様学問を修めるように命じられたが、他に志すところあって、軍人になる道を選んでいる。広島県江田島にある海軍兵学校に入学した後、日清、日露戦争、そして第1次世界大戦に従軍し、従四位勲三等功五級の位階勲功に輝いた。また、兵学校の教官を明治38年、大正4年の二度にわたり勤務し、若い軍人の教育に情熱を傾けた。
海軍を退官した大正13年当時、佐世保に中学校は佐世保中学校、佐世保商業高校、佐世保高等女学校、成徳高等女学校の5校があったが小学校を卒業した男子生徒には進学したくても進学できない百十余名の生徒があった。
こうした実状を眺め、勉強したい子供たちの希望をかなえるため学園創設を決意し、誕生したのが、今日の西海学園である。
「創立の志」と校訓「孝行」、「努力」の二句は半世紀を本校教育の基本方針であり、儒学はその本流であることを忘れてはならない。